Ⅳ.今なぜウェルビーイングなのか、何を目指すのか【ビヨンドSDGsとしてのウェルビーイングな社会づくり連載シリーズ④

1.持続可能性の先にある問い

第1回から第3回では、経済成長は何のためにあるのか、その競争は公正なのか、そして自由を支える倫理や共通善とは何かを考えてきました。
経済成長も、競争も、自由も、社会にとって大切なものです。しかし、それらはそれ自体が最終目的ではありません。私たちが本当に問うべきなのは、その先にどのような社会をつくり、そこで人がどう生きるのかということではないでしょうか。

前回考えた共通善の視点に立てば、持続可能な社会をつくるためには、地球環境や制度を守るだけでなく、人間の尊厳、公正、他者への配慮といった価値を問い直す必要があります。けれども、社会が持続可能であれば、それだけで私たちは幸せなのでしょうか。持続可能性は、これからの社会に不可欠な条件です。けれども、それはゴールそのものではありません。その社会の中で、一人ひとりが心身ともに健やかで、自分らしく、幸せに生きられること。そこまで考えて初めて、私たちが目指す社会の姿が見えてくるのではないでしょうか。

今回は、その手がかりとして「ウェルビーイング」を取り上げます。

2.SDGsの先にあるウェルビーイング

SDGsの達成期限である2030年まで、残された時間は少なくなっています。国連は2027年9月に次回のSDGサミットを予定しており、2030年までの取り組みをどう加速するかが問われます。同時に、国連ではGDPを超える進歩の測り方をめぐる議論も進んでいます。経済成長だけでは、人々の実感する豊かさや地球の持続可能性を十分に測れないからです。

私は、この流れの先に、サステナブルであり、同時にウェルビーイングな地球と社会を目指す考え方があると思っています。最近、さまざまな場面で語られる「SWGs」という言葉も、こうした問題意識とつながるものとして捉えることができるでしょう。ただし、これはSDGsのように国連で公式に合意された目標ではなく、これからの社会を考えるための一つの表現として扱う必要があります。

歴史を振り返ると、SDGsの前身であるMDGsは、2000年の国連ミレニアム宣言を背景に、極度の貧困と飢餓、初等教育、ジェンダー、保健、環境、開発のためのパートナーシップなど、8つの目標を掲げました。1999年には、当時のコフィー・アナン国連事務総長が世界経済フォーラムで国連グローバル・コンパクトを提唱し、企業にも人権、労働、環境、腐敗防止に関わる責任ある行動を求めました。

2015年には、MDGsの後継としてSDGsが合意されました。SDGsは発展途上国だけの課題ではなく、先進国も含めた世界全体の課題として、17の目標と169のターゲットを掲げています。日本では2019年ごろからSDGsが大きなブームとなり、多くの経営者がSDGsバッジを胸につける光景が見られました。一方、欧州の経営者は着実に取り組みながらも、バッジをつけることはあまりありませんでした。彼らにとって、こうした活動は特別なものではなく、企業として当然の責任だったからだと私は受け止めています。

SDGsは、世界の課題を可視化し、共通の目標として共有したという意味で大きな成果を上げました。とはいえ、課題はなお深刻です。国連のSDG報告2025では、2025年時点で約8億800万人、世界人口の9.9%が新たな国際貧困線である1日3.00ドル未満で暮らすと推計されています。極度の貧困は長期的には減少してきましたが、2030年までの根絶は容易ではありません。

その一方で、先進国を中心に格差や孤立、心身の不調が広がっています。人類は豊かになったはずなのに、本当に幸福になったのか。この問いが強まる中で、改めて注目されているのが、WHO憲章に示されたウェルビーイングの考え方です。

3.ウェルビーイングとは何か

WHO憲章は、1946年に採択され、1948年に発効しました。その前文では、健康を単に病気ではない状態ではなく、身体的、精神的、社会的に満たされた状態として定義しています。また、最高水準の健康を享受することは、人種、宗教、政治的信条、経済的・社会的条件によって差別されない、すべての人の基本的人権であるとしています。

私は、この定義に大きな意味があると思います。健康とは、病院に行く必要がないというだけの話ではありません。身体が動き、心が安定し、人とのつながりの中で自分の居場所を感じられること。それがあって初めて、人は健やかに生きられるのではないでしょうか。
ウェルビーイングを考えるうえでは、ポジティブ心理学のPERMA理論も参考になります。PERMAは、ポジティブな感情、没頭や熱中、人間関係、意味や意義、達成という五つの要素から、人がよりよく生きる状態を整理する考え方です。

1948年に、すでにこのような広い健康観が国際的に示されていたことに、私は当時の人々の見識の高さを感じます。しかし、80年近くが過ぎたいま、世界のどれだけの人がウェルビーイングな生活を送れているのでしょうか。そう考えると、私たちの進歩とは何だったのかを改めて問わざるを得ません。

4.ウェルビーイングが企業に与える影響

ウェルビーイングは企業にどのような影響を与えるのでしょうか。私は二つの視点から考えたいと思います。
一つ目は、人的資本に関わる内側からの影響です。労働生産性は、付加価値額を労働投入量で割って測られます。これまでの経営は、分母である労働投入量をいかに減らすかに意識が向きすぎていたように思います。特に日本では、省力化や人件費削減の議論が中心になってきました。

しかし私は、分母を減らすだけでなく、分子である付加価値額を高めることで労働生産性を上げるべきだと考えています。付加価値を高めるには、コモディティ化した製品やサービスで価格競争を続けるのか、それとも独自性のあるコアコンピタンスとケイパビリティを生かし、価格優位性のあるビジネスモデルを築くのかを選ばなければなりません。

価値創造型の企業へ転換するために必要なのは、価値を創造できる人材集団です。その鍵がウェルビーイングです。従業員が心身ともに疲弊し、人間関係にも苦しんでいる状態で、新しい価値創造が生まれるはずがありません。従業員がウェルビーイングな状態にあるからこそ、企業は創造的で、意欲ある組織になれるのだと思います。

二つ目は、外側の視点です。ウェルビーイングがどのような市場を生み出すのかは、企業にとって大きなテーマです。医療、福祉、健康ビジネスだけではありません。食品、住宅、アパレル、旅行、日用品、住環境、働き方など、あらゆる分野で、人々がより健やかに、心地よく、自分らしく生きるための商品やサービスが求められています。

具体例として食品分野では、健康を意識した食品が日常的に紹介され、オーガニックや無添加の商品など、消費者の選択肢も広がっています。興味深い例として、日清食品の「完全メシ」があります。インスタント食品に対する従来のイメージとは異なり、栄養バランスに着目した商品を提案している点が面白いと思います。

アパレル分野でも、ユニクロの「ヒートテック」に代表される機能性衣料や、UVカット機能を備えた商品などが広く普及しています。さらに近年では、血行促進や疲労回復をうたうリカバリーウェアも登場し、衣服に求められる価値が広がっています。
このように、ウェルビーイングという視点から見れば、企業には新たな商品やサービスを生み出す大きな可能性があると考えています。

こう見ていくと、ウェルビーイングは福利厚生の話にとどまりません。人的資本を高める経営課題であり、新しい市場を生み出す事業機会でもあります。

5.日本社会はウェルビーイングなのか

18歳意識調査 自国の将来が良くなると思う割合を本文の論点に沿って整理した表

では、日本社会はウェルビーイングな状態にあると言えるのでしょうか。
厚生労働省の令和6年労働安全衛生調査では、現在の仕事や職業生活に関して、強い不安、悩み、ストレスとなっていると感じる事柄がある労働者の割合は68.3%でした。令和6年調査では設問の形式が変更されているため、過去調査との単純比較には注意が必要ですが、それでも働く人の多くが強いストレスを抱えていることは重く受け止めるべきです。

また、厚生労働省の資料では、2020年の精神疾患の推定患者数は約615万人とされています。さらに、横浜市立大学などの研究チームは、労働者の心身の不調による経済的損失を年間約7.6兆円と推計しています。これは厚生労働省の公式統計ではなく研究チームの推計ですが、心身の不調が個人の問題にとどまらず、社会や経済にも大きな影響を与えることを示しています。

日本社会のウェルビーイングを考える主な数字を本文の論点に沿って整理した表。

SNSによる誹謗中傷も深刻です。何かをきっかけに特定の人へ攻撃が集中する状況は、健全な社会とは言えません。社会の中で疎外感を抱く人が自己主張の場として使っているのか、格差拡大への不満のはけ口になっているのか、簡単には断定できません。しかし、こうした現象もまた、ウェルビーイングな社会から遠ざかっていることの表れではないでしょうか。

日本財団の2026年の18歳意識調査では、「自分の国の将来」について「良くなる」と答えた日本の若者は15.6%にとどまりました。米国は30.8%、英国は34.0%、中国は54.8%、インドは61.8%、韓国は23.5%でした。この結果を、私たち大人はどう受け止めるべきでしょうか。

いずれにしても、私たちはいまこそウェルビーイングな社会に向けて行動することが求められています。

ウェルビーイングは、個人の心身の健康だけを指す言葉ではありません。企業にとっては人的資本を高める経営課題であり、社会にとっては次世代が希望を持てるかどうかに関わる根本的な問いです。

では、そのような社会を目指すとき、私たちは何を物差しにすればよいのでしょうか。産業界、政界、官界が長く重視してきたGDPの向上は、本当にウェルビーイングな社会をつくるのでしょうか。
次回は、このGDPという指標を改めて問い直します。

日本社会のウェルビーイングを考える主な数字を本文の論点に沿って整理した表。

参考資料・出典

  • United Nations, [The Sustainable Development Goals](https://www.un.org/sustainabledevelopment/development-goals/)(SDGsの17目標、2027年SDGサミットに関する確認)
  • United Nations, [Millennium Summit](https://www.un.org/en/conferences/environment/newyork2000)(MDGsの8目標に関する確認)
  • 国連グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン, [国連グローバル・コンパクトの10原則](https://www.ungcjn.org/gcnj/principles.html)(4分野10原則に関する確認)
  • United Nations Statistics Division, [The Sustainable Development Goals Report 2025 Goal 1](https://unstats.un.org/sdgs/report/2025/Goal-01)(国際貧困線と極度の貧困に関する確認)
  • World Health Organization, [Constitution of the World Health Organization](https://www.who.int/about/governance/constitution)(WHO憲章と健康の定義に関する確認)
  • University of Pennsylvania Positive Psychology Center, [PERMA Theory of Well-Being](https://ppc.sas.upenn.edu/learn-more/perma-theory-well-being-and-perma-workshops)(PERMA理論に関する確認)
  • 厚生労働省, [令和6年 労働安全衛生調査 実態調査](https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/r06-46-50d.html)(ストレス調査と設問変更に関する確認)
  • 労働者健康安全機構, [産業保健とは](https://www.johas.go.jp/occ-health/about-occ-health/)(令和6年調査の68.3%に関する確認)
  • 厚生労働省, [精神疾患の現状](https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc7709&dataType=1)(精神疾患の推定患者数に関する確認)
  • 横浜市立大学等研究チーム, [労働者の心身の不調による経済損失に関する研究発表](https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000154780.html)(経済損失7.6兆円の推計に関する確認)
  • 日本財団, [第78回18歳意識調査](https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2026/20260406-121190.html)(自国の将来に関する6カ国比較に関する確認)

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